tohryufd’s diary

消防クリエイターとしての奮闘記

藤龍消防便り第15号

藤龍消防便り🚒第15号🚑2021年5月1日👨‍🚒

さて、もう5月ですねぇ🎏私も2つの大仕事を終え、ホッと安堵をしています☺️ゴールデンウィーク中は仕事場もお休みのため、少しゆっくり過ごすつもりです。ただ、我々の仕事はいつなんどきなにが起こるか分かりません。常に緊張感を持ちつつ、めったにないまとまったお休み。普段ではできないことをするつもり。かといって外出はしません(連休中に出掛けてもどこもかしこも人👪人👪人👪です。)コロナ禍もなかなか終息の気配は見えてきません。感染等のリスクを考えてもたまには自室に籠るのもありだと思います☝️今回の「藤龍消防便り」は❓🤔❓🤔❓🤔何にしましょうかね・・・。たまには私の消防人生を振り返ってみるのもいいかもしれませんね☺️今回は幼少期を中心に語ります。
<原点>
私の家系には消防吏員を含む「消防関係者」はほぼ居ません(母方の親戚に1人だけ消防団の分団長をしていた程度)。どこをどう間違えたらこんな「消防バカ」が産まれてくるのでしょうかね🤔まあ・・・唯一考えるれるのは、高山(母方)の祖父の家の前に消防団の詰所があり、祖父が赤ん坊だった私をおんぶしてよく連れて行ってたそうです。たまに消防車が車庫から出ていると、一目散に連れて行ってたそうです。これが私の「消防人」としての原点なのでしょうかね❓🤔そういえば、父の同僚から貰ったはしご車のオモチャでよく遊んでいた事は、うっすら記憶に残ってます。物心付いた頃には、消防車、救急車、あとパトカーのミニカーだらけでしたね。おまけにサイレンが聞こえてるくると他の子が泣き出したのに対して喜んでた、逆にどんなに泣いてても、サイレンが聞こえたり、父が「あっ消防車だ🚒」と言うとピタッと泣き止んだそうです😅😅😅
<おわりに>
私は元々「岐南町」で暮らしていました。小学生になるのを機会に「各務原市」に引っ越してきました。岐南町の借家にいた頃、週に数回、母の運転する自転車🚲の前に座り買い物に行くのがすごく楽しみでした。スーパーに向かう途中に小さな消防署があり、消防車🚒と救急車🚑を見るとすごく嬉しかったのです☺️☺️☺️同時の車両はボンネット式のドアなしのタンク車🚒とライトバンの救急車🚑でした。ただ見つめるだけでしたが、「大きくなったら、これに乗って人を助ける」とずっと思っていました。遠回りはしましたが、今ようやく消防に携わる仕事が出来ている事に改めて「諦めないで良かった」と思うとねえ、じーんとなり熱いものがこみ上げてきます。

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今回はちょっとだらだらトークになってしまいましたが、いかがでしたか❓たまにはだらだらトークもしていくつもりです。毎回たくさんの「いいね👍」頂き誠にありがとうございます。大変励みになります。。コメントももう少しあればとても嬉しいです🎵😍🎵それではまた「次号」で。バイバイ👋

藤龍市消防本部初代消防長
消防司令長
消防クリエイター
伊藤龍一