tohryufd’s diary

消防クリエイターとしての奮闘記

藤龍消防便り第10号

藤龍消防便り「第10号」2021年3月11日

東日本大震災から10年。自然災害の恐ろしさを痛感された方々も多いはず・・・。そして人間の無力さを嫌というほど見せつけられたこの大災害。今号で改めて「東日本大震災」について語ります。
<東日本大震災とは>
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。日本の三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近)の深さ約24kmを震源地として発生した。 地震の規模は日本観測史上最大のマグニチュード9.0。 東日本各地での大きな揺れや、大津波、火災等により、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。 これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模となった。(各所引用)
この震災の特徴は「津波」による被害。 最大40メートルほどの高さまで斜面を駆け上がり、各地に壊滅的な被害をもたらしました。 その高さは、国内の観測史上最大級のものでした。(引用)まさに「想定外」の被害だった事は言うまでもありません。
f:id:tohryufd:20210311104309j:image

f:id:tohryufd:20210311104346j:image

<豆知識>
津波」は「TSUNAMI」で万国共通語なのです。
<この頃の私は>
以前の阪神淡路大震災の時とはうってかわり、上司や同僚たちの信頼を勝ち取り、一時は溶接(プログラムされたロボットを使う)チームのサブリーダーとしてパートの方々に指示をしたり、ちょっとした不具合ぐらいなら治せるまでに成長。また、障がい者従業員のリーダーとして健常者と障がい者のパイプ役もしてました。私専用の機械を使い、一つの仕事まで任され、精力的に働いてました。この震災の影響は私の勤めていた会社にも大きなダメージを与えました。大手自動車メーカーの工場が東北地方に多くあり、ほとんどの工場が壊滅的被災にあり、復旧のメドすら立たず生産休止に追い込まれました。当然、会社の受注も止まり、仕事はほぼ0に。給料6割保証で休業となりました。それがだいたい3ヶ月以上続きました。以前の私なら6割でも毎月給料が貰えて、仕事をしなくてもいい。「超ラッキー」と考えたでしょう。しかし、この頃の私は仕事にやりがいを感じてましたから、毎日毎日悶々と過ごしていました。イライラが積もり、挙げ句には母に八つ当たりをしてしまいました。その光景を見てた父から、「お前の気持ちはよく分かる。仕事がないのはお前のせいでもないし、お母さんのせいでもない。ただ、俺はお前が一生懸命働くようになった事はお父さんは嬉しい。この状態はいつまでも続くわけではない。それまでいい休暇だと思ってゆっくり過ごせ。ただし、お母さんには後で謝っておけ。」と優しく窘められました。私もその言葉に思わず涙が出てきました。母も優しく許してくれました。それから、思っていたよりも早く復旧をし、私も無事に仕事を再開させる事ができました。
<休業中にしてた事>
この頃はまだ消防との交友を持っていなかったため、ドライブをしたり、行き付けのコンビニに行ったりとこれと言う目標を見つけられずに日々を過ごしていました。ある日、自分の部屋の様子を見て愕然となりました。今でこそ、整理整頓が当たり前。今暮らしているグループホームに来客が来た時のモデルルームになるぐらいの綺麗な状態を保ってますが、当時の私の部屋は物は散乱して、下手すればゴミ屋敷かと思えるぐらいヒドイ部屋でした。父からも「少しは部屋を片付けろ!」とよく注意されてました。私は思いました。(こんな部屋に女の子来てくれるかな・・・)と。そして(どうせやる事ないなら、この部屋を女の子が突然来ても快適に過ごせるに部屋にしよう)と考え、即行動。まずした事は、要るものと要らないものの仕分け。「もったいない・いつかは使う精神」を振り払い、思いきった仕分けを実施しました。売れるものはリサイクルショップに行き、お金に変えてました。店員さんとも仲良くなり行く度に荷物を運び入れるのを手伝って貰いました。大量にあったビデオテープも8割ぐらい処分しました。6割程度処分し終え、仕分けはとりあえず一区切りを付け、次に汚れた箇所を徹底的に清掃したり、近所の若い衆に家具などの移動を手伝って貰いました。部屋を占領してた大きな洋服ダンスは撤去し、地震対策で私の身長より高いものは全て撤去する徹底ぶり。今考えるとよくあんな汚い部屋に居たもんだと時々思い出してゾッとしてます。その頃には父も私の本気モードに援助をしてくれるようになります。父から「畳を処分して、コンパネ打ち付けてその上にカーペットを敷いたらどうだ?お父さんの友達に大工に頼んでやる」との提案。私は早速ホームセンターに行き茶色い木目調のビニールマット(畳3畳分の大きさ)1枚と4色のタイルカーペットを必要な分だけ購入し敷きました。約半年にかけてリフォームを成し遂げました。遊びに来た友人が思わずびっくりして後退りしたぐらいです(笑)。このリフォームがきっかけで私は「整理整頓」に目覚めました。
[追伸]
私は現在、月に1・2回帰ってクリエイター活動をしています。ベッド付近は多少荒れてはいますが整理整頓された綺麗な状態をほぼキープしてます。そろそろベッド付近の片付けも視野に入れてます。
<終わりに>
人的・物的被害はもちろんですが、経済的被害が大きかったこの東日本大震災阪神淡路大震災(第3号でも語りました)同様、短期間での復興は「日本人の底力」を世界中に改めて知らしました。一方で、個人1人1人の復興はまだまだ出来てないのも事実です(詳細は第3号を参照してください)。
1人1人が元の生活に戻れてこそ「真の復興」です。「防災意識の向上」が今後の大きな課題でしょう。そんな中先日、福島を中心に発生した震度6強の地震はさほど大きな被害も出ず、何より「死者が出なかった」事は10年前の教訓があったからだと思います。行政や個人レベルの防災意識が向上した成果です。と同時に向上の上には多くのかけがえのない命が犠牲になってる事を忘れてはいけません。尚、今号は哀悼の意を表して絵文字を自粛させて頂きました。今号もご愛読頂きありがとうございました。では、また「次号」でお会いしましょう。

藤龍市消防本部初代消防長
消防司令長
消防クリエイター
伊藤龍一