tohryufd’s diary

消防クリエイターとしての奮闘記

私の目標と夢その2

「空白の4年間・苦悩の闘病生活」

私の身体的機能低下はさらに悪化の一途を辿っていきます😔ある朝、目覚めるとともに今までに経験のしたことのない激痛が腰を襲います。ベッドから転げ落ち、悲痛の叫びをあげる事しか出来ない・・・💥異変に気付いた父が119番通報☎️間もなくして救急車が到着🚑市内の総合病院🏥へと搬送されました。その結果、私はとうとう歩く事は愚か立てなくなり、車イス生活♿を余儀なくされました。会社に辞表を提出した直後だったため「仕事」も「自由」も全て失います😢「苦痛」「不安」「恐怖」は計り知れないもの・・・。「このまま私の人生終わっちゃうんだろうか・・・」「こんなに痛くて苦しいならお母さんのいる天国に行かせて😢」とも考えるようになります。そんな私に一筋の光✨が差します。私の目の前にまさしく「ドクターX」が現れるのです。当時「中部ろうさい病院」の整形外科医だったI先生は私の目をしっかり見て「このままだと一生寝たきりになる。今ならまだ間に合う。すぐにオペしましょう。失敗はありません。」と言い切ったのです。
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今までの苦労が嘘のようにトントン拍子で入院とオペが決まり、私の人生をI先生に託し、2016年11月22日、首で5時間、そして2016年12月7日、腰で3時間、2回のオペを受けました。
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(写真はオペ直前の私)

術後、激しい痛みと極限の喉の渇き、2回目の腰の術後は激しい吐き気との闘いを乗り切った私は中部ろうさい病院で3ヶ月入院生活を送りました。その後、より専門的なリハビリを受けるため「名古屋市総合リハビリテーションセンター附属病院」に転院しました。(元々はこの病院🏥の紹介で中部ろうさい病院でオペを受けたのです。)
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ここで私は自宅での生活に戻るため、2ヶ月間死に物狂いでリハビリをしました。しかし、医師の診断は残酷なものでした。現段階では自宅での生活は難しく介護施設に移る事になります。私の希望で入院する前からショートステイしてた愛知県丹羽郡にある「太郎と花子」に戻る事となります。f:id:tohryufd:20210225132224j:image
お城のような外観は元より中も高級ホテルを思わすようなステキな空間。ここでの生活は快適そのものでした。それこそ1日中トレーニングマシーンで自主トレをしてましたし、週3回、OT(作業療法)、PT(理学療法)の訪問リハビリを受けた結果、再び立ち上がり歩けるようになり、1人で歩き施設の近くのコンビニ🏪まで買い物が出来るまで回復。長い期間リハビリをして杖を使ってなら歩けるようになると言われてた私。約1年で自立歩行が出来るようになった事はまさしく「奇跡」でした。この施設ではもう1つ奇跡が起こりました。いくつかの偶然が重なった事により「運命的な素晴らしい出逢い」が訪れたのです。この話はまたの機会にします😳私には「自立」と言う大きな目標があるため、介護施設を卒業しなくてはなりません。快適の環境に別れを告げ、新天地、岐阜県庁南のグループホーム「ほたるの杜」にやって来ました。

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ほたるの杜での生活は多少不便さは感じられるものの「私の自立」ため色々サポートを受けているのですが・・・。中部ろうさい病院の入院からほたるの杜に移ってから約4年も経つのに一向に自宅に一時帰宅さえ出来ない日々。モヤモヤ感をずっと抱え続けてました。そしてここに移ってから2年の月日が流れ、ようやく「空白の4年間」にピリオドが打たれるのです。

つづく