tohryufd’s diary

消防クリエイターとしての奮闘記

藤龍消防便り第3号

藤龍消防便り🚒第3号🚑2021年1月17日配信👨‍🚒

あれから26年・・・皆さんはあの日あの時、何処で何をされてましたか❓1995年(平成7年)1月17日、午前5時46分、兵庫県南部を中心にマグニチュード7・3、最大震度7地震が襲った。私は同時23歳。某中小企業のスプリング製造会社で働いてました。そろそろ起きようとしてた時、強い揺れを感じ、咄嗟に頭から布団を被り、防御体制を取りました。普段から運転中は常にラジオを聴いてた私、会社に向かう道中、ずっとラジオで情報を入手。刻々と状況が伝えられる中、事の重大性を痛感。この日は会社をズル休みし、コンビニで飲み物等を買い、いつもの時間潰しの場所でラジオをずっと聴いてました。当時はインターネットも今ほど普及してません(少なくとも私は使い方すらも知りません)でしたから、リアルタイムの情報源はテレビかラジオでした。今だから言える話なのですが、当時の私は仕事への意欲が薄れて、よくズル休みをしてました💧今となっては笑い話になってますが、苦悩の時代がありました。全ての事にやる気がなかったのです。あるのは消防への情熱だけでした。家に帰り、テレビから流れる映像に言葉を失いました😨夜遅くまでテレビに釘付け。これがあの日の私の1日です。次の日もコンビニで新聞と飲み物等を買い、ズル休み体制に・・・本当に当時の会社の上司には度々ご迷惑をお掛けしました。反省はしてますが後悔はしてません。やはり自分は「消防人」だと再認識しました。とはいえ当時の私には何も出来ません。出来る事と言えば、大規模災害特殊消防車両を自分なりに考えてレゴブロックで形にする事。夜遅くまで組み立ててる、昼間は眠くなるからズル休みして寝てる、悪循環を繰り返してるような「ダメ人間」でした。でも、あの頃の苦い経験があるからこその今の私があると思います(何事もポジティブ思考)☺️ この災害による人的被害は、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名という戦後最悪の極めて深刻な被害をもたらした(消防庁調べ、平成17年12月22日現在。)。 施設関係等被害の概要について、住家については、全壊が約10万5,000棟、半壊が約14万4,000棟にものぼった。(一部引用)私が尊敬して目標としている地元消防本部の元隊長も援助隊として現地に行きました。あまり多くを語らないところを見ると凄惨な現場だったと察してます。亡くなわれた方々のご冥福をお祈り致します・・・この地震を機に発足したのが東京消防庁ハイパーレスキュー(特別救助機動部隊)、このハイパーレスキューは国内外で発生する大規模災害に対応する救助のエキスパート。独自の特殊車両や資機材(資器材)を配備、平常時は通常の救助事案に対応、大規模災害発生時には、速やかに現地に向かい活動をします。後に発生する新潟県中越地震東日本大震災、記憶に新しいところでは熊本地震等でも活動してる事は皆さんもご存知でしょう。
f:id:tohryufd:20210219131537j:image
またクイックアタッカー(消防活動二輪車)もこの地震を機に開発されました。オフロードタイプをベースとして、 平常時は、消防活動二輪車二台と水槽付ポンプ車が連携して活動し、二輪車は、その機動性を活かして高速道路や山間部などの火災及び救助・救急現場にいち早く先行し積載してある可搬式消火器具(インパルス銃)や救助・救急資器材を活用し、初期消火、救助・救急活動などを行うものです。(一部引用)親交がある地元消防本部の元消防長の趣味がバイク。さぞかしこのクイックアタッカーには興味があった事でしょう😁
f:id:tohryufd:20210219131634j:image
この震災以前はホースの連結金具が各消防本部で規格が異なってたため、各地から援助隊で集まった消防車のホースが互いに連結出来なかった事から、これを教訓とし、ホースの連結金具の規格が全国統一されました。「ボランティア活動」が定着したのもこの地震がきっかけです。私は数年後、友人達と一緒にルミナリエを見に神戸を訪れてます。数年前、この場所が壊滅的になったとは信じられないぐらい、街並みはキレイになってました。この短期間でよくここまで復興したもんだ。
f:id:tohryufd:20210219131755j:image
改めて「日本人の底力」を感じました。ルミナリエはとても綺麗でした。以上・・・で終わらないのが「藤龍消防便り」。もう少し深く迫ります。確かに表面上は見事な「復興」を果たしました。しかし、26年経った今でも住む家のない方々、身体的や精神的な後遺症に苦しんでる方々がまだまだいます。被災者の高齢化も進んでいます。避難所生活もそうですが、災害弱者と呼ばれる方々(障がい者、高齢者、妊婦を含めた女性、小児)に対する配慮がまだまだ遅れてます。「福祉避難所」については追々語っていきます。まだまだ私自身勉強不足で多くを語る資格はありません。今後自分の脚👣や眼👀で取材をしていくので改めて「特集」という形で語ります。地震を含め災害は時と場所を選びません。この30年の間に発生する確率が極めて高いと言われてる「東海地震」「南海地震」はコロナ禍が終息してない「今」「この時」に起こるかもしれません。心構えは必要です。まずは自分の身は自分で守ってください。障がいがあり守る事が難しい方々は周りにいる方々が自分の身と一緒に守ってあげてください。最低限(3日分の食料、飲料)の備えをして置いてください。消防は平常時に対応できる能力しかありません。消防職員も被災者なのです。ほとんどの職員が自分の親しい方々(家族、親戚、友人、同僚、恋人)の安否も分からない不安のなか、任務を遂行してます。そして、消防力には限界があります。自分の身は自分で守る「自助」、周りの人々がお互いに助け合う「共助」があって、行政機関が行う「公助」が成り立ちます。「備えすぎ」はありません。今一度、身の回りの備えの確認をお願いします。皆さん1人1人の備えが「減災」につながります。「災害は忘れた頃にやってくる」今回も長くなりました。次号よりもう少し短くまとめるように努力します。いつものように「いいね👍」やコメント、シェアをして頂ければ励みになります。。では、皆さん、またね。バイバイ👋

藤龍市消防本部初代消防長
消防クリエイター
伊藤龍一